1 八雲立つ風土記の丘(やくもたつふうどきのおか) 令和元年10月7日 曇
八雲立つ風土記の丘は島根県松江市にあり、古代出雲の国造りの中心地であったところと言われています。ここを訪問する以前は出雲大社を含む西出雲が古代から発展していたと思っていましたが、ここ意宇(おう)平野が中心だったのか?勉強不足でした。
この丘の周辺には古墳をはじめ、古代出雲の出雲国府や国分寺などの遺跡がたくさんあります。
八雲立つ風土記の丘 展示学習館
展示館ホール
銅鐸、銅鏡などのレプリカ 触ることができます。
古代の「意宇(おう)」 意宇は風土記の丘周辺の古代の呼び名
「見返りの鹿」 平所遺跡から出土の形象埴輪 国の重要文化財
古墳時代のいろいろな埴輪 見ていると楽しい!
子持壷
「額田部臣(ぬかたべのおみ)」銘文入大刀
岡田山一号墳出土 国の重要文化財
獅噛環頭大刀(しがみかんとうたち)
獅子が環を噛んでいる
展示場屋上から
屋外の復元建物
古墳時代の竪穴住居
奈良時代の掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)
岡田山2号古墳 円墳(直径44m、高さ5.4m) 4世紀末から5世紀築造
岡田山1号古墳 前方後方墳
石室から額田部臣銘文入大刀などたくさんの副葬品が見つかっています。また、墳丘から子持ち壷、円筒埴輪も見つかっている。
石室
2 青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡展示場 令和元年10月6日 曇
青谷上寺地遺跡は鳥取県鳥取市にあり、弥生時代に栄えた遺跡です。
青谷上寺地遺跡展示場は、見た通り、こじんまりした展示場ですが、内容は充実しています。
こじんまりしていますが、展示内容は充実しています。
弥生時代においては、環日本海交流が盛んに行われていた。
桶形容器と蓋 弥生時代中期 現代の工芸品と違わないぐらい精巧。
花弁高杯
石川県、兵庫県、島根県、福岡県の遺跡から見つかっており、交流品として、ここ青谷上寺地で作られていたか。
木製高杯 弥生時代前期
工具類 高杯などの製作に使用したものか。
各種土器
弥生時代末期の溝から殺戮された100人以上の人骨が発見された。
この殺戮は、魏志倭人伝に記載されている「卑弥呼」共立前の「倭国大乱」の跡か。または、内部の抗争か。いろいろ想像してしまう。
また、これらの人骨のDNA分析の結果、大陸や朝鮮などからの渡来系弥生人が多いという。交易のため、人々の行き来があり、定住した人もいたのか?
額に殺傷痕がある若い女性の頭蓋骨 ショッキングです。
壮年女性の脳 レプリカ
頭蓋骨から想像する「青谷弥生人」の顔
格子窓と扉を取り付ける部材
準構造船(船長15~20m) 交易用
船台(上)と船首(下)
アカ取り(船内に溜まった水をくみ取り)と櫂(かい)
「貸泉(かせん)」 国の重要文化財 中国「新」王朝が発行していた銅銭。
これら出土品を見ると弥生時代に環日本海ネットワークの交易で栄えた集落と思われる。小生が思っていた以上に古代からグローバルであったことか。当時、どんな言葉を話していたのか。港の活気など生き生きとした光景が目に浮かぶ。
以上、中国地方の旅(22)歴史博物館②。