令和元年11月25日、鹿児島県長島町にある道の駅「黒之瀬戸だんだん市場」と「長島」を訪問。
道の駅「黒之瀬戸だんだん市場」
鹿児島県阿久根から黒之瀬戸大橋を渡った長島側にある道の駅。
駅内に大きな生けすがあり、活魚が購入できます。また、そのほか海産物や新鮮な農産物も販売していました。
道の駅の写真を撮るため、ウロウロしていると、いつの間にか いざなわれるように道の駅の裏にある高台に。
素晴らしい景色が目に入ってきました。事前の調べもなかったので、不思議な感覚。何か未知の力が働いたのか。
黒之瀬戸大橋
黒之瀬戸海峡 日本三大潮流
東シナ海方面 ところどころに「うずしお」らしきものが見えます。
八代海方面
古代より、有名な景勝地のようで、四つの歌碑が公園に建てられています。
大伴旅人(おおとものたびと)の歌碑
「隼人(はやひと)の 瀬戸の 巖(いわ)ほも 鮎走る 吉野の瀧に なほしかずけり」
薩摩の瀬戸の大岩も、鮎が走るように泳ぐ吉野の急流には及ばない。
隼人の乱の征隼人大将軍に任命され、当地を訪れた時に、望郷の思いを歌にしたと言われています。
「初春の令月(れいげつ)にして 気淑(きよ)く風和ぎ」
初春の令(よ)い月であり、空気は美しく、風は和やか。
「令和」の典拠である万葉集の巻五、梅花の歌三十二首の序文。この梅花の歌三十二首は、旅人が大宰府の長官のとき、梅の宴を催したときのもの。
旅人は飛鳥時代から奈良時代にかけての公卿、歌人。大伴家持の父。文武両道で酒をこよなく愛する魅力的な人のようです。すこぶる興味をそそります。くわしく調べてみたい。
長田王(おさだのおおきみ)の歌碑
「隼人(はやひと)の 薩摩の瀬戸(せと)を 雲居(くもゐ)なす遠くも 吾(われ)は今日みつるかも」
隼人が住む薩摩の瀬戸を、雲のように遠い遥かに私は今日みたことだ。
これも万葉集に載っている歌で、長田王が筑紫(九州)に派遣された時に歌ったとされている。瀬戸の風景の感動が歌っているとのこと。
長田王は奈良時代の官吏。
実のところ、小生、この歌は理解できなくて、勝手な解釈として、「遠くまで知れ渡った歌枕の瀬戸であったが、とうとう来てしまった。思えば遠くに来たもんだなあ。」となってしまいます。
源公朝(みなもとのこうちょう)の歌碑
「薩摩潟 瀬戸のはやみの ただ漕ぎすぎよ 碇(いかり)下(おろ)さで」
鎌倉時代に成立した「夫木和歌抄(ふぼくわかしょう)」に詠われている。
源公朝は権僧上公朝(ごんそうじょうこうちょう)で、鎌倉時代後期に活躍した関東の代表的な歌人。
甲斐守保孝(かいのかみやすたか)の歌碑
「音立てて はや吹きにけり 隼人(はやひと)の 薩摩の迫門(せと)の 秋の初風」
この歌は、江戸時代に作成された薩摩の名勝を記した麑藩名勝考(げいはんめいしょうこう)に記載。
道の駅「黒之瀬戸だんだん市場」から東シナ海を左に見ながら車を走らせる。
長島の風景 東シナ海
車を走らせていると、ところどころに個性的な作品が。
小生、有名な作家の芸術作品よりこちらの方が好きなのです。
道の駅「長島」 食堂にはいろいろな種類の海鮮丼や定食があり、いずれもリーズナブル。タイ漬け丼600円を注文、美味。満足。
ここにも、芸術作品!
作品名「鯱(しゃち)」
鯱がサメを咥えて現れた! 製作人員14人、2時間✕60日。潟自治公民館製作。
以上、九州の旅(12)黒之瀬戸。