神武天皇(じんむてんのう)は、古事記、日本書紀によれば、日本の初代天皇とされている。日本神話に登場するが、神として生まれたのではなく、寿命を持つ人として生まれ、神代から人代へ橋渡しをしたと言える。
古事記では神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれびこのみこと)と称され、日本書紀では神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)、始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)、若御毛沼命(わかみけぬのみこと)、狹野尊(さののみこと)、彦火火出見(ひこほほでみ)と称される。
また、古事記、日本書紀において、神倭伊波礼琵古命(神日本磐余彦尊)は日向(ひむか)で生まれ、天下を治めるため大和を目指し東征したとされている。
1 皇子原神社(おおじばるじんじゃ) 令和元年11月22日
皇祖、神武天皇(幼名:狭野尊(さののみこと))の生誕の地とされており、幼少期をここで過ごしたとされている。神社の背後に「産婆石(うべいし)」があり、その周辺で神武天皇が誕生したされている。
皇子原神社の鎮座地は皇子原神社古墳群の中にあり、6基の古墳がある。また、皇子原神社は1号古墳の上に鎮座している。また、神社は皇子原公園の中にあり、園内には神武の館をはじめ、コテージ、ゴーカート、遊具などもたくさんの施設が整備されている。
所在地は、宮崎県西諸県郡高原町大字蒲牟田。
皇子原公園(おうじばるこうえん)
一の鳥居
二の鳥居
参道
皇子原神社
産婆石(うべいし)
狭野尊が生まれた時、この場所で産湯を使ったとされている。
神社裏にある広場には、幼少の狭野尊。建物は古代住居。
古墳
神武の館 当日は、お休みでした。
神武の館の裏にある庭
狹野茅上娘子(さののちがみおとめ)の歌碑
「君が行く 道のながてを くりたたね 焼きほろぼさむ 天の火もがも」
(あなたが行く長い道のりを、くるくると手繰り寄せるようにして、焼き尽くしてくれる天の火がほしい。そうすれば、あなたは都に留まるしかないだろうから。)
今の雨は、娘子の涙雨であったのか。
恋人たちの鐘
さざんか 困難に打ち克つ」「ひたむきさ」
晩秋
2 狭野神社(さのじんじゃ) 令和元年11月22日
御祭神は、神武天皇(幼名:狭野尊(さののみこと))であり、創建当時に鎮座していた元宮の地には、末社の皇子原神社が鎮座している。皇子原神社からは車で5分ほどの距離にある。狭野神社の社名は幼名「狭野尊」が由来。
所在地は、宮崎県西諸県郡高原町大字蒲牟田。
鳥居
長さ1300mに渡る長い参道 スギ並木で国の天然記念物。
大スギ
御神木
狛犬
拝殿
本殿 真ん中奥
御朱印
3 駒宮神社(こまみやじんじゃ)
御祭神は、初代天皇神武天皇であり、幼少時の少宮趾として伝えられている。また、神武天皇は阿比良比売(あひらひめ、吾平津姫)をお妃に迎え、愛馬「龍石(たついし)」号を友にこの地に住んでいたと伝えられている。
御神徳は、安産、病気平癒、交通安全、厄除開運など。
所在地は、宮崎県日南市平山。
一の鳥居
参道
狛犬ではなく狛馬
拝殿
本殿
御朱印
左は神武天皇像。右は「日向シャンシャン馬」発祥地記念の駿馬「龍石」。
宮崎地方には昔から、結婚した男女が夫婦そろって鵜戸神宮に参詣する慣習があり、帰り道に鈴のついた馬を夫が引いて帰る様子が「シャンシャン馬」道中として、広く知られている。シャンシャン馬は、馬に鈴をつけ、また綺麗に着飾り、駒宮神社に参拝する風習が元と言われている。
ここにも、お馬さんが。本物と見間違えてしまいそう。
御本殿の左後方にある巨岩 弥生時代の磐座信仰跡か。
御鉾の窟(みほこのいわや)
神武が宮崎へ向かう時、天下泰平を願い鉾を窟屋に収めたと伝わる。
陰陽石
以上、九州の旅(23)神話⑨神武天皇。