九州の旅(39)磨崖仏④熊野磨崖仏

 熊野磨崖仏(くまのまがいぶつ)    令和元年12月5日

 熊野磨崖仏は、大分県豊後高田市田染(たしぶ)の山中に所在する、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけて彫られた磨崖仏です。国の重要文化財(昭和39年)及び国の史跡(昭和40年)に指定されている。

 

 熊野磨崖仏入口

f:id:hakusaniiyo:20200604153838j:plain

 参道

f:id:hakusaniiyo:20200604153947j:plain

 鳥居

f:id:hakusaniiyo:20200604154025j:plain

 鬼が一夜にして積み上げたという伝説が残る自然石を積んだ石段。

 かなりの急勾配で、また、自然石のため歩きにくい。

f:id:hakusaniiyo:20200604154100j:plain

 鬼の石段を昇っていくと、左手に磨崖仏が見えてきます。

 不動明王像(ふどうみょうおうぞう)

 像高約8m、日本で最大級。平安時期末期~鎌倉時代前期のものと推定されている。

f:id:hakusaniiyo:20200604181533j:plain

 穏やかな、少しユーモラスな明王様です。

f:id:hakusaniiyo:20200604193608j:plain

 大日如来像(だいにちにょらいぞう)

  像高約7m、平安時期後期のものと推定されている。大分県内の磨崖仏のなかで最古のものとであるらしい。

f:id:hakusaniiyo:20200604193648j:plain

 大日如来像と言われているが、本来の仏様名は不明とのこと。

f:id:hakusaniiyo:20200604193714j:plain

f:id:hakusaniiyo:20200604193838j:plain

 鬼の石段を更に上ると少し開けた場所があり、そこが熊野権現。

 この熊野権現は、かって参道入口近くにある胎蔵寺(たいぞうじ)の奥の院であったが、廃仏毀釈の影響で寺と分離され、現在の熊野権現(神様)になったそうです。

f:id:hakusaniiyo:20200604193913j:plain

 本殿

f:id:hakusaniiyo:20200604193938j:plain

 本殿裏側の岩壁

f:id:hakusaniiyo:20200604194023j:plain

 本殿真裏の岩壁がきれいに削り取られているような。ここにも、磨崖仏があったのだろうか。

f:id:hakusaniiyo:20200604194120j:plain

 

 大分県内には全国の約7割の磨崖仏が集中しているそうです。その数は、約90カ所に約400体あるとのこと。大分県中・南部は、約9万年前の阿蘇山の大噴火による「溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)」の岩層が、県北地域には、火山灰の中に岩石が混じった「凝灰角礫岩(ぎょうかいかくれきがん)」の岩層が広がっている。いずれの岩層も、柔らかく磨崖仏の製作に適しているようです。(前出の記事の臼杵磨崖仏、普光寺磨崖仏は「溶結凝灰岩」の岩層に、髙瀬石仏、熊野磨崖仏は「凝灰角礫岩」の岩層に彫られている。)

 また、熊野磨崖仏がある国東半島(くにさきはんとう)は、六郷満山(ろくごうまんざん)文化と呼ばれる独特の山岳宗教文化が栄えた場所であり、この熊野磨崖仏が彫られたのは、このような背景があったのかもしれない。

 鬼の石段を一歩一歩踏み進めると、神仏の懐に入っていくような不思議な気持ちになります。 合掌。

 

 

 

 以上、九州の旅(39)磨崖仏④熊野磨崖仏。