熊野磨崖仏(くまのまがいぶつ) 令和元年12月5日
熊野磨崖仏は、大分県豊後高田市田染(たしぶ)の山中に所在する、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけて彫られた磨崖仏です。国の重要文化財(昭和39年)及び国の史跡(昭和40年)に指定されている。
熊野磨崖仏入口
参道
鳥居
鬼が一夜にして積み上げたという伝説が残る自然石を積んだ石段。
かなりの急勾配で、また、自然石のため歩きにくい。
鬼の石段を昇っていくと、左手に磨崖仏が見えてきます。
不動明王像(ふどうみょうおうぞう)
像高約8m、日本で最大級。平安時期末期~鎌倉時代前期のものと推定されている。
穏やかな、少しユーモラスな明王様です。
大日如来像(だいにちにょらいぞう)
像高約7m、平安時期後期のものと推定されている。大分県内の磨崖仏のなかで最古のものとであるらしい。
大日如来像と言われているが、本来の仏様名は不明とのこと。
鬼の石段を更に上ると少し開けた場所があり、そこが熊野権現。
この熊野権現は、かって参道入口近くにある胎蔵寺(たいぞうじ)の奥の院であったが、廃仏毀釈の影響で寺と分離され、現在の熊野権現(神様)になったそうです。
本殿
本殿裏側の岩壁
本殿真裏の岩壁がきれいに削り取られているような。ここにも、磨崖仏があったのだろうか。
大分県内には全国の約7割の磨崖仏が集中しているそうです。その数は、約90カ所に約400体あるとのこと。大分県中・南部は、約9万年前の阿蘇山の大噴火による「溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)」の岩層が、県北地域には、火山灰の中に岩石が混じった「凝灰角礫岩(ぎょうかいかくれきがん)」の岩層が広がっている。いずれの岩層も、柔らかく磨崖仏の製作に適しているようです。(前出の記事の臼杵磨崖仏、普光寺磨崖仏は「溶結凝灰岩」の岩層に、髙瀬石仏、熊野磨崖仏は「凝灰角礫岩」の岩層に彫られている。)
また、熊野磨崖仏がある国東半島(くにさきはんとう)は、六郷満山(ろくごうまんざん)文化と呼ばれる独特の山岳宗教文化が栄えた場所であり、この熊野磨崖仏が彫られたのは、このような背景があったのかもしれない。
鬼の石段を一歩一歩踏み進めると、神仏の懐に入っていくような不思議な気持ちになります。 合掌。
以上、九州の旅(39)磨崖仏④熊野磨崖仏。