土偶札所巡り 5番「しゃかちゃん」、6番「しゃっこちゃん」、7番「出産土偶」

  日本遺産 星降る中部高地の縄文世界

   -数千年を遡る黒曜石鉱山と縄文人に出会う旅-

 

 5番「しゃかちゃん」、6番「しゃっこちゃん」、7番「出産土偶」に会いに、釈迦堂遺跡博物館(しゃかどういせきはくぶつかん)へ。

 釈迦堂遺跡は、山梨県笛吹市一宮地内の中央自動車道建設工事に先立って、発掘調査が行われた。その結果、旧石器時代、縄文時代、古墳時代、奈良時代、平安時代の遺構、遺物が発見された。

 釈迦堂遺跡博物館は、釈迦堂遺跡から発掘された縄文中期の土偶・土器などの多くがが国の重要文化財に指定され、その出土品を収蔵・展示する全国でも有数の博物館です。

 

 釈迦堂遺跡博物館  山梨県笛吹市一宮町  令和3年10月6日 

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 博物館からの眺望

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 見晴らしは、最高! 甲府盆地を一望。真下には、中央自動車道の釈迦堂PAがあり、釈迦堂遺跡が発掘された場所です。

 

 左が5番「しゃかちゃん」、右が6番「しゃっこちゃん」。

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 左が5番「しゃかちゃん」  釈迦堂遺跡  縄文中期  重要文化財

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 1番「いっちゃん」と同じフォルム。釈迦堂遺跡と一の沢遺跡とは約10kmしか離れていなく、また、縄文中期と共に同時代であることから、必然のことなのか?

 

 5番「しゃかちゃん」の後頭部

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 これは、一体何であろう。1番「いっちゃん」と同じくヘビを描いたものか?

 

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 6番「しゃっこちゃん」  釈迦堂遺跡  縄文中期  重要文化財

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 6番「しゃっこちゃん」の後頭部

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 この後頭部は、何を描いたものか?

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 7番「出産土偶」  釈迦堂遺跡  縄文中期  重要文化財

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 7番「出産土偶」の後姿

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 出産する女性の座った姿を表現したものと考えられている。両足の間には新生児の頭部とみられるものがある。首が折れ曲がっているようだ。(私見)苦痛を表現しているのか。また、後姿を見ると、人間ではなさそう。

 

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 5番「しゃかちゃん」、6番「しゃっこちゃん」、7番「出産土偶」以外にもたくさんの土偶が展示されています。釈迦堂遺跡からの出土の土偶は、1,116個体にのぼり、全国で出土した土偶の約1割にあたるそうです。

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 水煙文土器(すいえんもんどき)  釈迦堂遺跡  縄文中期  重要文化財

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 水煙文土器(円環形)  釈迦堂遺跡  縄文中期後葉  重要文化財

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 水煙文土器は、水煙(みずけむり)を思わせる。ゆるやかで美しい曲線を用いて表現された立体的な曲線文を口縁部(こうえんぶ)に持つ土器で、山梨県の甲府盆地を中心に出土する縄文時代の土器です。(釈迦堂遺跡博物館図録「展示案内」から抜粋)

(私見)煮炊きする土器としては効率性、使い勝手を考えると究極の不都合な土器かもしれない。この土器、すべてのものが再生する瞬間を描いたものではないか。生命の再生、植物の豊穣を願い、一心不乱に粘土をこねた。

 芸術家岡本太郎は縄文の土器、土偶の凄みをその中に見出した。岡本太郎は芸術というものは判断を超えて、「なんだ、これは!」というものだけが本物だと言ったそうです。縄文はまさに「日本美術の起源だ!」とも言った。

 縄文土器・土偶は、現代人は芸術というが、それは魂の叫び、魂の塊(かたまり)だと思う。  

 

 有孔鍔付土器(ゆうこうつばつきどき)

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 前にも、有孔鍔付土器を載せましたが、お酒を入れて、神様(精霊)にお供えをしていたものか。

(私見)縄文の土器、土偶は、ヘビとカエルと思われるものが表現されている。ヘビやカエルは、冬は土の中で冬眠し、春に出現する。あたかも毎年、再生するよう見えたのでしょうか。ヘビ、カエルは地母神として描いたものなのか。

 時代はかなり下るが、「古事記」、「日本書紀」崇神天皇の条の三輪山伝説では、三輪山の神(大物主神)はヘビとされている。ヘビを祀る信仰は、長く日本に存在していたと思われる。

 

 釣手土器(つりてどき)

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 縄文時代のランプとも言われ、釣り下げるための釣手が付いた土器。祭祀のとき、使われたのであろうか。祭祀は夜間に行われたのか。

 

 竪穴住居内の様子

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 手前の土器は、埋甕(うめがめ)といい、乳幼児を埋葬したときに上に被せた。甕の底に穴をあけ、甕を逆さまにしている。甕の位置は、竪穴住居の入口に埋められている。(私見)竪穴住居は人間の体とみなし、入口は女性器とし、再生を願ったものか。

 

 たくさんの土器

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 石棒(せきぼう)と各種磨石(すりいし)

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 石棒は、男根であり、再生、豊穣を祈る祭祀に使われたものとされている。写真の丸い磨石はクリ・クルミ・ドングリなどの堅果類をすりつぶすために使われ、平べったい磨石は土器の内部を磨くために使われたとされている。

 写真の石棒は大形石棒で、全国的に縄文時代中期初頭から晩期までの遺跡で出土する。縄文中期では住居跡からの出土が多く、家族単位の個別的な屋内祭祀で使われていたと考えられ、後期から晩期では屋外の配石遺構からの出土が多くなる。屋内祭祀から集落単位の共同的な屋外祭祀に変わったと考えられている。

 (私見)住居における石棒の出土場所は炉の付近からが多い、また、屋外の配石遺構からは、石囲いの炉と思われる場所から出土している。石棒(男根)と炉(女性器)と火(血、命)は祭祀を行う上で重要な要素であったのではないか。これに有孔鍔付土器(お神酒)、食物が入った土器、釣手土器などを供え、石棒や土偶を神(精霊)の依り代として、豊穣・再生を祈ったと思うのですが、どうでしょうか。

 

 釈迦堂遺跡のモノと人の交流

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 釈迦堂遺跡から出土の土器の中には、東北や関東、東海、近畿の特徴を持つ文様も見られる。各地との人の交流があったと考えられている。

 

 出土したハマグリ

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 縄文早期の地表から出土。海岸地域との交流もあった。

 

 縄文人の心に近づくためには、たくさんの不要な知識や保身のための悪知恵などを脱ぎ捨て純心になる必要があるのかも。縄文人が「すべてを脱ぎ捨てたらおいで、俺のすべてを見せてやる」と夢の中で言ったような言わなかったような。

 現実的には、そんなことは出来ない。博物館で集めた図録を毎日眺めたり、遺跡を巡ったり、手っ取り早い縄文ライフとして山へキャンプに行ったりすることは可能と思われる。実行あるのみ!


 釈迦堂遺跡博物館では釈迦堂遺跡のたくさんの出土品を鑑賞。

 消化不良もあったが、
 弥太郎の縄文人化度は前回から3%UPの5%。

 

 追記 キャンプで焚火をし、ゆらぐ炎を見ていると、まったりと至福である。春が待ち遠しい!