土偶札所巡り 10番「ミスいしのつぼ」、11番「縄文の仮面小町ウーラ」

日本遺産 星降る中部高地の縄文世界

   -数千年を遡る黒曜石鉱山と縄文人に出会う旅-

 

 10番「ミスいしのつぼ」、11番「縄文の仮面小町ウーラ」は韮崎市民俗資料館で会うことができます。

 

 韮崎市民俗資料館   山梨県韮崎市藤井町南下條   令和3年10月6日

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 10番「ミスいしのつぼ」  石之坪遺跡(いしのつぼいせき)  縄文中期

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 約4000年前の縄文中期の土偶で、ていねいに磨かれたなめらかな肌が特徴の「美肌土偶」。顔と体には細い線で文様が刻まれており、その溝には赤い絵の具が残っている。

 

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 11番「縄文の仮面小町ウーラ」  後田遺跡(うしろだいせき)  縄文後期

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 約3500年前の縄文後期の土偶で、逆三角形の仮面をつけており、「仮面土偶」として有名。女性器が付いているので女神と思われる。

 仮面土偶は、長野県辰野町の新町泉水(しんまちせんすい)遺跡と長野県茅野市の中ッ原(うしろだ)遺跡からも出土している。三姉妹仮面土偶というべきもので、新町泉水が長女で、写真の仮面土偶は次女、中ッ原は三女といわれている。後田遺跡と新町泉水遺跡とは中ッ原遺跡経由で歩行距離約80km、後田遺跡と中ッ原遺跡とは約50km離れている。仮面土偶は石棒と同じく祭祀の大切な神(精霊)の依り代として使われていたと考えられている。

(私見)後田集落の縄文人は新町泉水集落の祭祀に参加するため、途中の集落に宿泊しながら数日かけ新町泉水集落に至ったと考えられる。新町泉水集落の祭祀に参加しトランス状態になり、仮面土偶の神々しさに心を奪われたのではないか。当時はスケッチする道具はないものの、強く脳裏に焼き付け持ち帰ったものと想像する。いずれにしても、山梨・長野の縄文世界は一つの文化圏であった。

 ここで疑問が噴出。祭祀の日はいつであったか?どのようにして、遠方の集落の縄文人が知ることが出来たか?参加した縄文人の性別や年齢はどうであったか?など。空想が膨らんで実に楽しい!

 

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 四単位把手算盤玉底(よんたんいとってそろばんだまそこ)土器

                       石之坪遺跡   縄文中期

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 大きな4つの把手とそろばん珠のような底が特徴。

 

 深鉢形土器    石之坪遺跡    縄文中期

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 文様は、ヘビ?サンショウウオ? 抽象化した謎の動物。

 

 立派な石棒

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 石皿(いしざら)、台石(だいいし)、多孔石(たこういし)

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 これらは、クリやドングリといった堅い木の実を磨りつぶすための道具。

 

 女夫石(めおといし)遺跡出土品

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 女夫石遺跡からは、石棒とともに多くの土偶の破片が見つかっており、土偶の密集状況は他の遺跡を大きく上回り特異とのこと。

 

 垂れ飾り(たれかざり)

  左の2個は石之坪遺跡出土、右は飯米場(はんまいば)遺跡出土。

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(説明文)垂れ飾りは、いろいろな種類の石で作られます。緑色のものはヒスイで作られたものです。ヒスイは主に新潟県や富山県が産地です。また、とても硬い石なので、穴を開けるなどの加工は困難です。

 

 11番「縄文の仮面小町ウーラ」はたくさんの本に登場するのだが、重要文化財などの指定は受けていない。チョット不思議。


 弥太郎の縄文人化度は前回から2%UPの11%。