飫肥城(おびじょう) 令和元年11月19日
飫肥城は宮崎県日南市飫肥にあり、江戸時代伊東氏飫肥藩の藩庁として繁栄した城である。
正面が飫肥城
大手門(再建)
石垣と白壁 整然と整備されている。
しあわせ杉
4本の杉が石垣に囲まれて四隅に立っています。4本の杉が合わさるので、「しあわせ」だそうです。パワースポットとのこと。
奥の2本
城跡内にある飫肥小学校
本丸跡 不思議な静かさ。木々が雑音を消しているのか。
松尾の丸
昭和54年に再現された藩主の館。往時の館の正確な図面などが残されていなかったため、復元ではなく再現されたものだそうです。
豫章館(よしょうかん) 大手門から出ですぐ右にあります。
明治2年に飫肥第14代藩主伊東祐帰(すけより)が藩知事に任命後、城内から移った屋敷。
国際交流センター小村記念館 豫章館から道を挟んで向かいにあります。
小村寿太郎(こむらじゅたろう)は、明治時代に外務大臣を務め、明治38年にポーツマス条約を調印し日露戦争を終結に導いた。飫肥は、生誕の地。館内では、生い立ちから外交の舞台での活躍ぶり等を展示物や資料が展示紹介されています。
昔、教科書で拝見したような。
小村記念館内で、若山牧水(わかやまぼくすい)の歌に関する興味深いパネルが掲示されていました。牧水は、宮崎県日向市東郷町の生まれ。
「うすべにに 葉はいちはやく萌えいでて 咲かむとすなり 山桜花(ヤマザクラバナ)」
この歌は、伊豆湯ヶ島温泉で牧水が詠んだ有名な歌ですが、原作の初句は「うすべにの」で、歌集「山桜の歌」に収める時点で「うすべにに」になったそうです。
「うすべにの」では「葉の色の説明だけに終わってしまう」が、「に」として「うす紅色に萌え出でて」と鮮やかな描写になったそうです。
小生も、レベルが全く違いますが、「の」と「に」で悩んだことがあり、不思議な巡りあわせを感じました。
城下町の落ち着いたたたずまい
どの鯉も、メタボ気味。
小村寿太郎誕生の地 城跡から南に延びる道を進むとありました。
以上、九州の旅(45)城①飫肥城。