月山日和城(がっさんひわじょう) 令和元年11月20日
月山日和城は、宮崎県都城市高城町にある比高15mほどの平山城で、鎌倉時代後期に肝付兼重(きもつき かげしげ)によって築かれた。肝付氏は南北朝の争乱には南朝方に属し、暦応3年(1341年)に北朝方の畠山直顕が大軍を率いて攻められ落城した。また、戦国時代には、伊東氏と島津氏がこの地方の拠点として争奪戦を繰り広げた。
三層の模擬天守閣(郷土資料館)
鉄筋コンクリート造で、犬山城に模して造られている。
天守閣の中の様子
南朝に属していた肝付兼重は、五辻宮守良親王(いつつじのみやもりよししんのう)から錦の御旗を受ける。
丸に十の字は島津家の家紋
縄文時代、弥生時代の土器
弥生時代の土器
牧之原古墳群
牧の原古墳出土箱式石棺 古墳時代中期(5世紀)
牧の原古墳出土品
天守三層からの眺望
霧島連山
都城盆地
鰐塚山地(わにつかさんち)
牧の原古墳群
宮崎県都城市高城町大井にあり、前方後円墳3基、円墳10基が存在する。また、箱式石棺墓、地下式横穴墓、土壙墓など九州南部独特の古墳も存在する。
牧の原古墳は古墳時代中期の築造と推定されており、日向の諸県(もろかた)地方を支配していた諸県の君、牛諸井(うしもろい)一族の墓とみられている。
牧の原古墳3号墳 前方後円墳
牧の原古墳第2号墳 円墳
牧の原古墳第1古墳 前方後円墳
髪長媛(かみながひめ) 1号古墳の横の公園に建っている。
「日向(ひむか)の国におとめあり、名を髪長媛 すなわち、諸県の君、牛諸井が女なり。天皇専使を遣わして、髪長媛を召し給う。」(古事記 仁徳帝妃)
古事記、日本書紀の両方に髪長比売(髪長媛)の話が記載されています。
応神天皇は日向(ひむか)に容姿が麗しい姫がいると聞き、妻に欲しいと呼び寄せた。船で難波津(なにわづ)に来た髪長比売を皇太子であった大雀命(おおさざきのみこと、後の仁徳天皇)が見て、端正な容姿に心動かされ、求婚し妃とした。応神天皇と大雀命との争いはなかった模様。
古代からの日向の国とヤマト政権との密接な関係がうかがい知れる。
絶世の美女と言われる木花之佐久夜毘売 (このはなのさくらびめ)も薩摩半島の野間岬に居たとされ、皇室の祖の邇邇芸命(ににぎのみこと)から求婚された。なんと、南九州には美人の多いことか。
以上、九州の旅(46)城②月山日和城。