九州の旅(47)城③岡城

 岡城(おかじょう)       令和元年12月1日

  大分県竹田市大字竹田にあった山城で、「臥牛城(がぎゅうじょう)」、「豊後竹田城(ぶんごたけたじょう)」とも呼ばれる。

 断崖絶壁の上に建つ岡城は、難攻不落の城と言われています。国の史跡、日本百名城に選ばれています。

 

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 閉門まじかに辛うじて入場することが出来ました。受付の人に「照明がないので気を付けてください。」と声かけられ、少し不安になりながらも折角来たので散策することに。日没近くのため、観光客に出くわしたのは写真のカップルのみ。あまりの静けさで心細くなる弥太郎でした。

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 大手門跡

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 城代屋敷跡

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 これは難攻不落の城に間違いない。

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 太鼓櫓跡

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 三の丸跡地

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 本丸跡地にある天神様

 島津の大軍も退けた難攻不落の城ということから、「落ちない」という験担ぎで受験生が多く訪れるとのこと。

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 二の丸跡地に建つ瀧廉太郎(たきれんたろう)の銅像

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 この岡城は「荒城の月」のモデルとなったお城としても有名です。「荒城の月」を作曲したのは瀧廉太郎で、廉太郎が竹田に居たのは、高等小学校に在学した2年4ヶ月 であったとのこと。

 廉太郎は23歳の若さで結核で亡くなっいるため、銅像のお顔は若々しい。

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 「荒城の月」は、何かしら哀愁のある曲ですね。「秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁の数見せて 植うる剣に照り沿いし昔の光 今いずこ」がピッタリの岡城でした。

 

 

 

 以上、九州の旅(47)城③岡城。