特別史跡 西都原古墳群(さいとばるこふんぐん) 令和元年11月29日
西都原古墳群は、宮崎県の中央に位置する西都市(さいとし)にあり、宮崎平野を流れる一ツ瀬川(ひとつせがわ)の右岸の標高70mほどの洪積層の台地に分布する日本最大級の古墳群です。築造時期は古墳時代前期から終焉期(3世紀末~7世紀)で、古墳の数は、高塚墳319基で、その内訳は前方後円墳31基、方墳2基、円墳286基であるが、ほかに横穴墓が10基、南九州特有の地下式横穴墓が12基確認されている。古墳の分布と築造年代等により10~13の集団に分けられる。
また、男狭穂塚(おさほづか、175m)は日本最大の帆立貝形古墳。女狭穂塚(めさほづか、180m)は九州最大の前方後円墳として、注目を集めている。
これら男狭穂塚・女狭穂塚など大型古墳であったり、前方後円墳・三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)・埴輪・甲冑・横穴式石室などに見られるように、この時代の九州の核となる盟主が存在し、ヤマト政権との綿密な政治関係が窺える。
なお、西都原古墳群は昭和27年に国の特別史跡に指定されている。
姫塚(202号墳)
前方後円墳、墳長50.2m、6世紀初頭(古墳時代後期)築造。前方部が広くて髙い後期古墳。その形状の美しさから姫塚(ひめづか)と呼ばれ、周囲には周濠が巡らされている。
前方部から後円部を撮影。
13号墳
前方後円墳、墳長79.4m、4世紀後半~5世紀初頭(古墳時代中期)築造。
前方部から後円部を撮影。
築造当時の葺石(ふきいし)の姿が窺える模型
玄室見学のための通路
玄室(げんしつ)
棺床(かんしょう)の大きさは、長さ6.8m、幅0.5m。大正5年発掘時に発見された遺物は、三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)1、勾玉2、管玉40余り、ガラス小玉110余り、鉄剣1、刀子(とうす)1。この三角縁神獣鏡は、福岡県宗像市の沖ノ島18号遺跡出土鏡と同じ鋳型を用いて造られた鏡であるとのこと。
三角縁神獣鏡は、魏の皇帝から邪馬台国の女王の卑弥呼に下賜された銅鏡とも言われている。
兎に角、広大、たくさんの古墳。文化庁の風土記の丘設置構想に基づく「風土記の丘」として、西都原考古博物館・古代生活体験館・ガイダンスセンター・史跡公園などが整備されている。
鬼の窟(おにのいわや)古墳 205号墳
鬼の窟古墳は、直径37m、高さ7.3m、周囲に周堀と外提を有する円墳で、都原古墳群内で唯一、埋葬施設に横穴式石室を採用している古墳です。
なお、鬼の窟の名称は一夜で造りあげたとする伝説からきている。
写真は、右から円墳本体、周堀、外提の状況。
古墳の周囲に土塁を巡らしているのは、国内では奈良県明日香村の石舞台古墳があるのみで、関係が注目されるている。
円墳
横穴式石室
盗掘にあっていたが、鉄鏃(てつぞく)、馬具金具、須恵器、土師器などが出土。
男狭穂塚(おさほづか)、女狭穂塚(めさほづか)
男狭穂塚は、墳長175mで日本最大の帆立貝形古墳。女狭穂塚は、墳長180mで九州最大の前方後円墳。共に宮内庁陵墓参考地で自由に立入りすることはできない。
また、男狭穂塚の被葬者は邇邇芸命(ににぎのみこと)、女狭穂塚の被葬者は木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)と伝えられている。邇邇芸命と木花之佐久夜毘売は夫婦で古事記や日本書紀の神話に出てくる神様。
写真のように、雑木林の状態。
宮崎県立西都原考古博物館
西都原古墳群の遺跡を始め、宮崎県内の遺跡からの出土品を六っのコーナーに分けて展示されている。
タイムトンネル いざ古代の世界へ。
縄文時代
縄文時代の漁労道具は現在で使っているものと材質は違うが機能は同じで、驚かされる。写真は、石錘、土錘、貝殻、骨針、魚骨。
南海に生息する貝が、よく見つかっている。これらの貝は、広く交易の対象として扱われていたのか。または、貨幣として使われていたものなのか。
弥生時代
免田式土器(めんだしきどき)
熊本県を中心に鹿児島県や宮崎県など九州の中・南部地方に出土する弥生時代の後期後半(2世紀~3世紀ごろ)に造られていた土器。この九州の中・南部地方は、魏志倭人伝に登場する狗奴国(くなこく)であり、邪馬台国(やまたいこく、卑弥呼の国)に対立する国であったという説がある。
特徴は、そろばん玉のような胴体を持ち、また、「重弧文(じゅうこもん)」と呼ばれる線状の華麗な装飾が施されており、気品に満ちている。
工字突帯文土器(こうのじとったいもんどき)
宮崎県高千穂や日之影(ひのかげ)といった北部山間部で煮炊きに使われていた甕(かめ)で「北の山の土器」とも呼ぶ。弥生時代中~後期。
古墳時代
埴輪船(はにわふね) 写真のものは、レプリカ。
170号墳より出土した古墳時代中期の船形埴輪で、国の重要文化財。この船に被葬者が乗り込み、日向灘を行き来した光景が目に浮かぶ。
子持家形埴輪(こもちいえがたはにわ) 写真のものは、レプリカ。
170号墳より出土した家形埴輪で、国の重要文化財。竪穴住居とみられる主屋の切妻造伏屋建物に、4つの子家を配している。
鉄刀、鉄斧(レプリカ)
宮崎県児湯郡新富町の川床遺跡出土。弥生時代後期~古墳時代初頭。
小札鋲留眉庇付冑(こざねびょうとめびさしつきかぶと)
宮崎県東諸県郡国富町 六野原8号地下式横穴墓出土、古墳時代(5世紀)。
横矧板鋲留短甲(よこはぎいたびょうとじたんこう)
宮崎県東諸県郡国富町の六野原1号地下式横穴墓出土、古墳時代(5世紀)。
国宝「日向国西都原古墳出土金銅馬具類」鞍橋金具(同素材復元品)
鬼の窟古墳(205号墳)出土遺物
四獣形鏡
宮崎県児湯郡高鍋町の持田古墳群出土、国の重要文化財。古墳時代。
研磨刀剣
宮崎県小林市の大萩地下式横穴墳群出土の鉄製刀剣を研磨したもの。1500年前の時を超えて、妖しい光を放っている。
「西都原古墳群」は、一度は訪問したかったところで、見事な日本晴の中たくさんの古墳を見ることができ、幸せな一日であった。
ヤマト政権の古墳から出土する遺物と同様なものが、ここ日向の古墳で多数出土しており、ヤマト政権との密接な関係性が明らかになっている。小生の頭の中で少々の疑問が残っている。交流品はどのようなものであったのか。海洋国家としてヤマト政権から一目置かれていたのか。稲作の生産力はどれくらいであったのか。地下式横穴墓など独特な墓制が長く続いたのはなぜか。
もう一度「日向(ひむか)」に来る言い訳が出来たような・・・
以上、九州の旅(30)史跡⑤西都原古墳群。