1 鬼ノ城(きのじょう) 令和元年10月15日 曇
鬼ノ城は岡山県総社市の鬼城山(きのじょうさん)に築かれた古代山城です。一度訪れたいと思っていたところです。鬼城山の標高は400m。
天智天皇2年(633年)に朝鮮半島の白村江(はくそんこう)の戦で日本・百済の連合軍が唐・新羅連合軍に大敗した。唐・新羅による日本侵攻からの防御のため、九州、瀬戸内海に山城が造られ、その一つと言われています。以前、四国の旅で屋嶋の山城も見学しました。なお、建設時期については諸説あります。
鬼ノ城の名前の由来は、鬼退治で有名な桃太郎の鬼(温羅(うら))が住んでいたと
いう伝説からきている。
鬼ノ城へは約3kmほど狭い道を上って行きます。対向車が来ないか恐る恐るの運転となりました。
駐車場に到着
駐車場横の鬼城山ビジターセンターは月曜休館でした。 最初からつまずきました。
登山口に箱がありパンフレットをゲット。鬼城山は頂部は平坦で、斜面は急斜面、また瀬戸内海を望み、城づくりに最適なところです。
城壁は鬼城山の8~9号目あたりを鉢巻状に造られている。全長は2.8kmです。
駐車場から約300mで学習広場(展望台)に 西門が良く見えます。
眺望
学習広場から300mほど山道を歩くと角楼に到着
角楼は城壁から張り出した四角いスペースで、攻めてくる敵を上から攻撃するための施設と考えられています。
西門(復元) かなり大きい。古代人は凄い。感動。
高さ約6m、幅約7mの版築土塁(はんちくどるい)
版築土塁とは土を強く突き固め、徐々に高く構築する工法。
要所要所にある石垣 約1.5mの敷石の通路
城壁の上に石を敷き詰めてあり、城内の方に傾斜がかかっている。雨水を集め排水するため?雨水による城壁の浸食防止?
西門から350m行くと第一、第二水門に到着
第一水門
第二水門
第一、第二水門からさらに300m歩くと南門に
西門より小規模のような感じ。復元した建屋はない。
景色は最高! 後でパンフレットの鳥観図を見て気づいたのですが、遠くに讃岐富士(香川県丸亀)、讃岐城山城(さぬききやまじょう)(香川県坂出)、五剣山(ごけんざん)(香川県高松)、屋嶋(香川県高松)がかすかに見えています。讃岐城山城、屋嶋の山城は鬼ノ城と同じく古代山城です。狼煙を焚いて、敵襲の伝達訓練でもしていたのかな。やつと、ここに城を築いた理由が解ったような・・・
正午を過ぎ、お腹が空いてきたので南門から引き返すことにしました。
興味が尽きないところです。今度来たときは、城壁をぐるっと一周したい。
2 松江城
訪問日は令和元年7月4日 朝から暑い日でした。
松江城は戦国大名堀尾吉晴(ほりおよしはる)が1611年(慶長16年)に築城。
天守は現存天守で国宝。別名、千鳥城。
堀尾吉晴の像 逆光でした。
お堀
大手木戸門跡 石垣の上にある建物は太鼓櫓
石垣と中櫓 空地は馬溜(うまだまり) 馬をつないでおくための空地。
いざ本丸へ
天守 黒い雨覆板(あまおおいいた)が特徴。重厚感で圧倒される。
入母屋破風(いりもやはふ) 三角の屋根の部分が千鳥が羽を広げたところに似ている。千鳥城の由来。
横から
城内にはいろいろな展示が。
旧 鯱鉾(しゃちほこ) 日本現存の木造ものでは最大。約2m。鯱鉾には雌と雄があるそうです。
華頭窓(かとうまど)
城内の様子
天守五層からの眺望 宍道湖(しんじこ)が見えます。
3 岡山城
訪問日は令和元年10月15日 晴
岡山城は戦国大名宇喜多秀家(うきたひでいえ)が1597年(慶長2年)に築城。
昭和20年の空襲で焼失し、昭和41年に再建された。
後楽園からの天守閣
後楽園から自然の要害 旭川を渡り入場。
天守閣 地元の人にここがおすすめのスポットと教えられ、パチリ。
岡山開府400年記念 開祖 宇喜多氏 顕彰の碑
左上と右上は宇喜多氏の家紋、左下は豊臣氏の家紋、右下は岡山市の市章
廊下門(復元)
月見櫓(つきみやぐら) 国の重要文化財。二代目藩主池田忠雄が築造。
築城当初の石垣
不明門(あかずのもん) いつも閉ざされていた門。
天守閣 どっしりとした風貌。夕陽が当たっている。
金の鯱(しゃちほこ)
天守からの眺望 下に後楽園が見えます。
以上、中国地方の旅(6)お城。